利用者側から考えると、同じ「完済」でも2つの意思が相反しているはずである。ひとつは「借入ご卒業」で「もう利用することはないと思います」とする「長期的(もしくは、正真正銘の)な完済」だ。健全かつシアワセな終わり方である(笑)。そしてもうひとつは「一時的な完済」で、これは「いずれまた使うことがあるかもしれません」とする「短期的(もしくは、一瞬の)な完済」を意図しているにすぎない。利用者の考え方は本人に帰結されることなので、それがいずれにせよ「表記上同じ」なだけだ。しかし、信用情報機関に登録されるデータベース上では、各利用者の認定まで反映させてその「完済」を切り分けることは絶対に不可能だ。つまり、いずれの「完済」も。同じものとして取り扱われ、また解釈されている。
給料が振り込まれたり、家賃が引き落とされたりと、毎日の生活に欠かせない銀行や信用金庫。この銀行と信用金庫、お金の出し入れなどの際には同じように利用できるが、両者のちがいとなるとわからないことが多い。いったい、なにがちがうのだろうか。基本的には、どちらもお金を預かったり、貸したりする仕事をおこなっている。だが、信用金庫は利益を上げることだけを目的につくられたわけではなく、その地域全体を発展させるために存在しているという点で、銀行とは異なる。まず、信用金庫は、その地域の人たちの出資金で運営されている協同組織であり、その地域に住む個人や中小企業の活性化をはかる目的で営業している。だから、お金の出し入れは誰でもできるが、お金の借り入れはその地域に住んでいるか、その地域で仕事をしていないかぎりできない。さらに、信用金庫は、地域のどの会社にでも融資できるわけではなく、従業員300人以下、資本金9億円以下の中小企業や個人にのみ融資できると信用金庫法に定められている。地域密着型の金融機関として、銀行が相手にしないような会社や商店にきめ細かく対応し、救済をはかる。信用金庫は、そうして銀行と棲み分けをおこなってきたのである。だが、この棲み分けにも異変が起きている。最近では、銀行の中小企業への積極的な融資攻勢が激しいうえ、地域経済の衰退もいちじるしい。そのため、信用金庫は破綻や合併を余儀なくされ、1986年の455から2006年には292へと数が激減した。信用金庫がその特徴を活かして生き残れるのかどうか、これから真価が問われることになるだろう。
振り込みの1日(あるいは1ヵ月)の上限をいくらにするかは、本人が指定することができるからです。その上限の範囲内であれば、いくらでも振り込みすることが可能です。また、上限の変更も簡単にできます。しかし、そのうちこのネットバンキングによる振り込みがオレオレ詐欺のような犯罪に悪用されないとも限りません。おかしな電話がかかってきて、振り込みを求められたような場合には、絶対に応じないようにすべきです。このような振り込め詐欺には、口座を売買する者が裏で深くかかわっています。自分の口座を売った者、他人の口座を売買した者には、振り込め詐欺に直接かかわっていない場合でも、連帯責任が問えるように法律を変えることが必要でしょう。